悪口の言えない人間

 年末ということで、地元に帰省した。そこで大晦日から元日の夜を友達と過ごすことになった。今やsnsとかLINEでいつでも連絡をとれる時代だが、私は繋がっているだけで能動的に連絡をとることをしなかったので実に久しぶりの再会になる。そこで全然知らない分野の話についていけなくなるのは、まぁ予想はできたのだが、それよりも会話の中で悪口が出てくるスピード感に驚かされた。

 バカ、アホ、クソ、死ね…とこれよりもひどい言葉が多く飛び交った。もちろん、このほとんどはじゃれ合いだ。小中、それ以上を同じ時間を過ごした仲だからこういうことも言えるのだ。自分も含めて。

 しかし私は違った。悪口が言えなくなっているのだ。思えば高校のいつものメンバーと別の学校になってから、悪口を言うようなじゃれ合いで互いに殴り合うというスキンシップをしていなかった。その間に自分の精神はどうやら正しさに支配されてしまったようだ。

 だって、アホとか言うことは少なくとも良いことではない。行き過ぎた発言をすれば炎上必至だ。派手に燃えている人を横目に自分は正しい道を歩んでいくぞ!と生きてきたらスキンシップをリスクとしか考えられなくなってしまった。

 でもその友達は正しい道を踏み外した奴らではない。そういう発言を場所を選んですることができる人たちだ。女性をもう最高に侮辱する発言をしていたってこの場に男しかいないことを認識してのことだ。しかも彼女持ちもそこそこいるし。

 これを考えたとき、すごいな、と思った。この人たちは自分の発言の限界を場所によって使い分けているのだ。仮面を使い分けたとて中身は同じだから私にはできないことだなと思う。ここは言っていい場面、ここはダメという判断ができるのはすごい。前々から思っていた「生き賢さ」の不足を実感させられた。

 ただ、前に起きた某チェーン店の生娘シャブ漬け…の問題もこういう使い分けをして生きていたら単純なポカか誰かの裏切りかで干されてしまったという例だろう。だからこういうことは言わないのが一番で健全な笑いをとれたらそれが良い。でもこういう地元の集まりでノリに乗れるのが生き賢さだよな〜とも…